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テイクアウト 前編

 ぷうんという蚊の羽音で私は目覚めた。
 全身に鳥肌が総毛立つ。
 私はパッチリと目を開けた。
しかしながらこれは、あまりいい目覚めではない。
 というよりか最悪である。 
 いや、しかし、最悪というのは最も悪いという意味であって、厳密に言うと今の目覚めは最も悪いというわけではない。
 だがしかし、限りなくそれに近い目覚めといえよう。
 ちなみに本当に最悪なのは、瞼を刺された上で蚊の羽音により目覚めることである。
 そのような朝こそ最悪であり、しかもそれが文化祭の日の朝となるともう目も当てられない。
 ちなみに去年の中2の文化祭当日私はそのような目覚め方をした。
 急に動悸が激しくなり、慌てて瞼に手をやったが、そこに特に違和感はなかった。
 どうやら奴さん、瞼には手をつけなかったようである。
 私はほっと安堵したが、それと同時に目が冴えてしまった。
 むっくりと起きあがると、目線の先には風になびく遮光カーテン。
 私は窓を開けて寝た覚えはない。
 ごそごそとベッドの上を這いずり、カーテンを少し開けると、朝の日差しが私の目を貫いた。
 そこで勇者に倒される魔物のような声を上げそうになり私は必死にこらえた。
 いや、今の例えはよろしくないだろうか。
 おまえは勇者に倒されようとしている魔物の悲鳴を聞いたことがあんのか、このやろう。
 と、ぼんやりと寝ぼけた頭で自分を罵倒した。
 私は目を瞬かせつつ、ベッドから降り、カーテンを開ける。
 うっすら開けた瞼からさわやかな光が射し込み、闇の住人的私の瞳はいやいやした。
 そこをどうにかなだめて目を開け、私は大きく伸びをする。
 時計を見れば八時だった。
 私は何となく複雑な気持ちになる。
 早く起きられたという事は創作活動をする時間が増えたという事であり、大変喜ばしいのだが、最近は寝不足が祟って、学校の授業中大変眠い。
 明日は朝早くに起きて映画を見に出かける予定なので、できれば今日はぐっすり昼まで寝ていたかったのだ。
 それもこれもあの蚊のせいである。
 ぐるりと室内を見回してみるが、忌々しい黒い点の姿はなかった。
 ここは是非とも、蚊を退治するベープなどの類の秘密道具をセッティングしたいのだが、残念なことに混沌としていろんなガラクタが絡んで絡んで絡み合って怪しげな気配漂う棚を捜索する元気は今の私にはなかった。
 私は腹が減ったのである。
 私はこの室内のどこかにいるであろう、諸悪の根元に一睨み利かせるべく、室内をぐるりぎろりと見て、自室から出た。

 : 

 部屋から出て、短い廊下を通り、台所へ向かう私。
 台所に入ると、食卓机の上に、何か紙が置いてあるのが見えた。
 見ると、おかんの置き手紙である。
 どうも母は既に仕事へ出かけた模様。
 置き手紙には、ゴミ捨て、とだけ書かれていた。
 このメッセージは簡潔すぎやしないか、と思いつつ、食卓机横の戸を開けると、そこには外へ通じる扉に寄り添うようにして、黄色いゴミ袋がちょぼんと佇んでいた。
 ふんわりと生ゴミの臭いが鼻を突く。
 私は3秒ほど、夢と希望と食欲の残りかす等々が詰まったその袋を見、戸を閉めた。
 あの袋の中には生ゴミ等生活廃棄物のほかに、ボツにした小説やテストの答案が入っていた。
 あのような苦い記憶は燃えてしまえばよろしい。
 私はとにかく腹が減ったのだ。
 何か食したい。  
 私はとりあえず食器乾燥機から茶碗を取り出し、炊飯器のふたを開けた。
 そこでほかほかと湯気を上げる白米が顔を覗かせる、という情景を期待した私だが、そこにあったのはつるつるした金属色丸だしの釜だけであった。
 金属は食えない。
 否、悲観すべきはそっちではない、そう、飯がない。
 私は愕然とした。
 米を炊くところから始めろというのか。
 私は仕方なしに、流し台の下の扉を開けた。
 そこには巨大なタッパのような入れ物の中に米が入ったものがある。
 とりあえず四合炊くことにし、カップで米を四杯、釜に入れ、ざかざかと水で洗う。
 二回ほど洗ったところで、水の量をメモリにあわせて、ジャーにセット。
 これで後は30分ほど待てば自動的にほっこり米が炊ける。
 そして、私はおかずはどんな物があるだろうかと冷蔵庫を開けた。
 再び私は愕然とした。
 中に入っていたのは中身がないに等しい牛乳パック1本と、イカの塩辛が詰まったタッパだけだった。 
 とりあえず塩辛を取り出し眺めてみるが、あまり食欲が湧くものでない。
 私は食べず嫌いであった。
 おかんがたまにどこからかもらってきてそれを食べているのを見かけるが、私にはそれがあまりおいしそうに映らなかった。
 取り出してはみたものの、食わないのなら見ているだけ無駄である。
 私は無言でそれをしまい、家捜しを開始した。
 
 今日おかんは通常通りの勤務だと言っていたから夕方まで帰らない。
 いくらおかんがずぼらでも、育ち盛りの私の昼食を何も用意せずに出かけるはずはない。
 しかしコンロに置いてあった鍋は全て空であった。
 冷凍庫の方を見てみると、弁当の具に使われる冷凍食品しかなかった。
 それらを勝手に食べることは許されていない。
 家中を探して腹が膨れそうな物が何も見つからなかった際はそれに手を出すしかないが、早まってはいけない。
 とりあえず食べられる物がないか隅から隅まで探してから、それを食すべきであろう。
 私はうんうんとうなずき、次はお菓子保管所へと向かった。
 台所の食器棚横、小さなワゴンには大抵おやつが保管されている。
 おかん用と私用、一応分かれてはいるのだが、おかんは食べたいと思ったものを勝手に食べるので、私のお菓子にもお構いなく手を出す。
 いくら文句を言っても聞かない。
 しかし、逆に私がおかんのお菓子に手を出すと家中に雷が落ちる。
 テレビを見せない、朝起こしてやらない、弁当作ってやらない、お菓子買ってやらない、携帯禁止、ゲーム禁止、パソコン禁止、マンガ・本禁止、電気を使うのさえ禁止。
 私の娯楽はすべて奪われ、学校以外外出禁止にされる。
 おかんのお菓子に真っ当な理由なしに手を出してみよ、私は泣きながら謝るほかない。
 ちなみに前回おかんに我が菓子を取られた積年の恨みを晴らすべく怒り心頭の気持ちでおかんの菓子に手を出したが、仕事から帰ってきた後のおかんは私の怒りなど到底足元にも及ばぬようなストレス、つまり火種をため込んでいた。
 私は普段ストレスなど微塵も溜まらないような、ふんわりした人間である。
 お菓子を食べられたくらいの怒りではおかんの火薬庫から吹き上げた炎を飲み込むような火など出ようはずもない。
 私の怒りなどミジンコ並みである。
 おかんの怒りの前では私の姿など見えなかった。
 ただただおかんの怒りに圧倒され、私はあっと言う間に飲み込まれた。
 しかし飲み込まれているままでは焼け焦げて、塵と化してしまう。
 それはいけない、私は未来あるお子である。
 こんなところで家の隅の埃と化している場合ではないのだ。
 私は消火活動を開始した。
 つまりそれこそ、泣いて、謝る、である。 
 私が泣くなどということは滅多になかった。
 いや、映画等で感動して、ちょっと泣いちゃう、くらいはある。
 しかし、痛み、恐怖で泣く、ということは小学校低学年以来なかったと思われる。
 もちろんその後もそういう風に泣いたことはあるかもしれないが、痛みや恐怖で泣くということは屈辱の極みであったため、記憶を自主的に消去したのかもしれない。
 とにかく、おかん大炎上のあの日、私は久しぶりに感動による清らかな涙でなく、屈辱に染まった流したくもない汁を流したのである。
 この恨み晴らさずでおくべきか!
 私は一人目を剥いた。
 この場合は正攻法である。
 私は食べるものがないために、おかんのお菓子に手を出したのだ、文句があるなら私が食すべきものを誰が見てもわかるように明確に示しておくべきだ!
 私は意気込んでワゴンの前に仁王立ちした。
 私のおやつは右サイド、おかんのおやつは左サイド。
 既に私に分のおやつは食べ終わった後である。
 昨日に一週間分の最後の一袋を食らった後だ。
 今日はおかんが毎週お決まりの買い物に行く日である。
 今日はまた一週間分のお菓子が補充されるのだ。
 いや、待てよ?
 そこで私は重要なことに気づいた。
 さっきまで燃え上がっていた闘志が音を立ててしぼんでいくようだった。 
 今日が買出しの日であり、昨日までに私のお菓子は消費された。
 それはおかんも同じなのではなかろうか。
 案の定覗き込んだワゴンの中には何もなかった。
 三度私は愕然とした。
 ここまでうだうだと頭の中でおかんに対抗するための怒りという黒いものでなく、闘志という清らかで強い炎を猛らせていたというに、菓子がなければお話にならない。
 私はへたりこんだ。
 
 そして何気なく目線をずらすと我が腕に黒いものが。
 蚊である!
 私は確実に奴をしとめるべく手を振りあげ、目も眩むようなスピードで手の平を振り下ろしたのだが、蚊の姿は手の内になく、目を剥く私をあざ笑うようにそいつは耳元で羽音を響かせた。
 ここに蚊取り線香でもあれば!と心の底から思うが、ないものはない。
 確かどこかに蚊取り線香が入っていた大きな缶があったが、あの中身は空であった。
 蚊取り線香さえあればその缶にセットしてすぐにでも焚くことができるのに! 
 私は膝を叩いて勢いよく立ち上がった。
 そして立ち上がると同時にぴんときた。
 私は駆け出し、流しの下、米の入れ物がある横の扉を力任せに開けはなった。
 そこには光輝く、カップヌードルの姿があった。
 私は救世主を手に取り、早速そのベールを剥がそうとしたが、私の理性がストップをかけた。
 確かに今とても腹が減っている。
 しかし今このカップめんを食してしまえば昼飯がない。
 一応米だけはあるが、米だけの昼食ほどわびしいものはない。
 せめて卵の一つでもあれば、一食山盛り卵ご飯で乗り切ることもできようが、それもない。
 これは昼にとっておくべきだ。
 昼になれば腹一杯食べられる。
 カップ麺一杯だけでは私の胃にはささやかすぎる贈り物であったが、残ったスープにご飯を入れてみなさい、胃は大満足であろう。
 私は丁寧に扉の奥にカップを安置し、戸を閉じた。 
 本来ならば昼まで眠りについている身である。
 今日は蚊というお邪魔生命体の襲来により目が覚めてしまったが、普段なら昼まで寝て朝食と昼食は兼用である。
 通常なら朝飯は食わずともよいはずなのだ。
 起きて活動しているということは誤算であるが、私は骨と皮しかない食事をとらねば死んでしまいそうな体ではないので、朝食を一度抜くくらいの打撃は屁でもない。
 私はむしろ、余分な肉が多い方である。
 食わなければ余計なものはつかない。
 育ち盛りの身として朝食抜きはいかがなものか、というところだが仕方あるまい。 
 私はゴミ捨てへと出向くことにした。
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